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神社まめ知識(神道全般)
神道全般にわたる豆知識をご紹介します

神道とは

温帯に位置し大陸から少しだけ離れた島国だからこそ、この日本という国には 適度にお日様が照り、適度に雨が降ります。 国土のほとんどを山で占められたこの地形のお陰で、山に降り注いだ雨は、 山の岩や土の中で蒸留され、 清浄な湧き水となって山肌から出てきます。

その湧き水は、川として、清潔で潤沢な水を集落に運んでくれました。清潔で潤沢な水は、 適度に照るお日様の力とあわさって、 農作物の成育の大きな力となりました。 また少し大地を掘れば地下水脈に当たり井戸となり、 飲み水も困らず、お酒やお味噌を作るにも重宝したはずです。

とは、我々人の力を越えるもの。
この感覚は、地球上のどこの民族、部族でも同じだと言えます。 そして我が国日本では、神は「水」であり「お日様」となりました。自然の現象の一つ一つを神とした日本古来の信仰。 これこそが「神道(しんとう)」なのです。

日本人は無宗教だ、とよく言われますが、実はそれこそが神道の本随だと言えるでしょう。

神道は自然の恵みに感謝し、自然のモノ一つ一つに神を見ています。 農耕民族であったからこそですが、適度に雨が降り、適度に日が照って くれなければお米は出来ませんから、雨の神様、日の神様に感謝しお願いします。 山の神様に ご挨拶して山に入り、木の神様にご挨拶して木を切ります。 大地の神様にご挨拶して土を 掘り返し耕します。

日本人は、長い歴史の中で自然と喧嘩はできないことをよく知っていたんですね。 例えば、稲作に限って考えて見ますと、日本の稲作の特徴は、古代より治水、灌漑、排水 等の点で、 非常に進んだ人為的技術の発展をしてきました。

國學院大學の宗教学教授でいらっしゃる薗田稔先生もよくおっしゃっていましたが、 「手の延長」である農機具の発展よりも、 「大地の延長」として 土地改良の発展 が 主であった事が重要な意味があります。

つまり灌漑による水田化という土地改良は、何度手を加えていっても決して 自然とは対立せずに、 結局文明的自然に帰着するすぐれものな訳です。
農機具・道具の発達は自然とは異質の文明を生んでしまい人間を結局は自然から 疎外してしまいますが、大地の改良は穏和な日本の気候自然条件を さらに豊かな風土に仕立て上げ、 ますます自然を尊重し、 その恵みに人為以上の神意を感得 せしめるわけですね。

自然のモノ一つ一つに神を感じる日本人古来の宗教感覚はこのようにして 育ったに違いないと思われます。 八百万の神(ヤオヨロズノカミ)と言うように、神道では800万の神がいるわけです。 (厳密に800万というわけではありません)

だからこそ神道は、我々日本人は、過去に仏教が伝来しても、 キリスト教が伝来しても、 自分たちの神以外の モノを排除するための戦争を起こさず、 八百万(やおよろず)いらっしゃる神の一つとして、 新しい神や仏を おおらかに受け入れることが出来たのではないでしょうか。 初詣に神社に詣り、バレンタインデーにチョコをあげ、 クリスマスにパーティーをやり、お葬式はお寺でおこなう。これは無宗教ではなく、これこそが神道なのです。

「○×△しないと、天罰が下る」等、人の不安をあおる事によってお詣りをさせる、 と言った考え方は神道にはありません。(悪い事をしたらバチが当たる、というのとは違いますよ)
また、八百万の神がいらっしゃると考える多神教だからこそですが、他の宗教に対して 排他的でもありません。 最近問題になっている宗教団体の問題は この辺りに関わっているような気がします。もちろんそれを信じる方にとっては、 それによって救われていると感じているわけですから、難しいですね。

前述の通り、神道の一番の基本は自然の恵みに感謝すること(自然崇拝)であり、 悪いことが起こった場合でも「自然の流れ」なのだと、おおらかに受け入れることです。

雨が降らず米が出来ないことは仕方がないわけで、人間にはどうしようもできない 自然の大きな力にお願いして感謝するわけです。
現代のことで言えば、合格祈願をした 学校が不合格であれば、「自分には合わない学校だと言う神の計らい」と考えます。 その神のお計らいに感謝する。
前向きな考え方は人の不安を軽減できます。不安をあおっておいてその不安を 取り除くための宗教行為をする宗教は少し変な気がいたします。

「日本人は集団で固まりすぎる、個性がない」とよく 言われています。 度が過ぎるのは考え物ですが、 集団で固まることが悪で、個人主義が善で あるという考え方は欧米の文化の表面的な部分だけをみてしまっているのではないでしょうか。

狩猟民族であった欧米は、時には力を合わせながらも個々の力で狩を頑張っていた。それに対して、 農耕民族である日本では、広い農地を地域の皆が力を合わせて作物を作り、 皆が頑張れば皆裕福になり、 皆がさぼったり、自然のいたずらで天候が悪かったりすれば皆が貧しくなったわけです。 さらに言えば、前述の通り、日本の稲作の歴史は、大地の延長たる土地改良の発展にありました。
農機具の発展に依らない農業の形態には、親密な共同労働が必要不可欠であり、 親族(イエ)や村落(ムラ)の連帯はきわめて大切なモノだったのです。
集団が善であるのはある意味で当然だとも言えるでしょう。
我々日本人自身が、気候や地形にマッチして発展してきた自らの文化を知り、そのうえで 色々な文化の良いところを取り入れ、日本の文化をきちんと守っていきたいものだと感じます。

神に祈る?

食事の時の「いただきます」、「ごちそうさま」 と言う言葉。
これは誰に対して言っていると思いますか? 「食事を作ってくれた人への感謝の言葉です。」と言う答えが多いかもしれませんね。

食事がいただけるのは、もちろん調理してくれた方がいたからですが、それだけではありません。

お米を作ってくれた人がいたからであり、野菜を作ってくれた人がいたからです。
家の近くの食品売り場まで農作物を運んでくれた流通に携わる人がいたからであり、牛や豚を解体して 食肉となるように加工してくれた人がいるからです。
さらに、もっと重要なのは、充分に太陽があたり、適度に雨が降り、寒い時期には寒く、 暑い時期には暑くなって、いくつもの自然の力が合わさり農作物が生長してくれたことであります。

そしてなによりも、「あなたのお生命いただきます」なのです。 子供たちも大好きなハンバーグも、お酒好きにはたまらない旬の海鮮も、牛や豚、魚の命をいただいてるんですね。
けっして、調理する人の力だけでは食事は食べられませんし、 農家の人の力だけでもお米はできないのです。 そして、同じ地球上に生きている、動物やお魚、お野菜の命をいただくのです。

人間の力ではどうしようもできない大自然の豊かな恵みに育まれ、 そして大変多くの人がいたから こそ、我々は毎日家で食事をいただけるんですね。
食べる」の語源は、 「賜る(タマワル)」→「タブ」→「タベル」 と変化したと言われています。
まさに、大自然の大いなる恵みを賜り、沢山の人のおかげを賜ることが、 「食べる」と言うことなんですね。
「いただきます」、「ごちそうさま」という言葉は、 これらの自然の恵みと沢山の人のおかげに感謝する言葉なのであります。 我々一人一人の人間が生活し、生きていくためには、目に見えない大きな力が働いています。

古来より日本人は、この働きを 総称して「神様のおかげ」と呼んでいました。
神に祈るということは、「人は自分一人の力で生きているのではないこと」を再認識し、 自然の恵みに感謝して、支えてくれる多く人達に感謝することです。
商売をされている方が、神棚をおまつりされたり、毎月一日に神社にお詣りされるのは、 商売をしていると「商売は、沢山の人のおかげが有ってこそ。一人の力だけじゃダメなんだ。」 と言うことが分かり易いからかもしれませんね。

氏神さまとは

よく神社のことを「産土(うぶすな)さま」、「氏神さま」、「鎮守さま」等と
呼ぶことがあ ります。本来、

 産土さまは私たちが生まれたところの神様(地縁的な神)
 氏神さまは氏族が共同でお祭りする神様(血縁的な神)
 鎮守さまとは一定の土地に住む人々や建物を守護する神様


のことを指していましたが、現在ではほぼ同じ意味に用いられています。
このような神様に対して、私たちは産子(うぶこ)、氏子と呼ばれています。 神様が親で、私たちはその子という関係で結ばれているのです。神様と私たちは かけ離れた存在ではなく、私たちの生活と共に生きる身近な存在なのです。(神社本庁)

神社でのご祈願とは、身近な存在である神様の所にお参りし、 人生の中での節目、出来事を、「ご報告し、これからもお守りいただく」為 のものと言えるでしょう。

神道のキモ① 祓へ

私の國學院大學時代の恩師である薗田稔先生(國學院大学元教授・京都大学元教授・秩父神社宮司) は著書の中で、

『神道は、世界的に見ても稀なほど、 清浄を重んじる宗教だといわれる。
その背景には、 もともと神の分霊(ワケミタマ)である 心と身体を「清く正しい」状態、 つまり本来あるべき姿にしたい という古代日本人の思想があった。
今日、神社に参拝する ときも、 まず手を洗い、口をすすぐ。 また、神職達は神聖な滝や川や海辺で禊(ミソギ)を行い、精進潔斎する。 身の穢れを祓うことは、 魂の穢れを祓うことでもあり、 神への祈りのための前提条件なのであった。』
と言われています。

前述した「禊ぎ」ですが、 「みそぎ」と言う言葉が最初にでてくる文献は、『古事記』だと思われます。
『古事記』には太安万侶の手による序文がつけられていますが、 それによると第40代天武天皇が『古事記』編纂を思いつき、 第43代元明天皇の時代にやっと完成したとされています。712年(和銅5年)とされているので、 今から約1300年前の事になりますね。

古事記上巻では、八百万の神々や、日本の国々(島々)が、 伊耶那岐命(イザナキノミコト・男神)伊耶那美命(イザナミノミコト・女神)というご夫婦の神から、 産まれてくるという国生みの場面では、

イザナキ 「貴女の体はどんな風になってるんだい?」
イザナミ 「私の体はだいたい整っているんだけど、一つ足りないところがあるのよ!」
イザナキ 「そーか。実は俺の体もだいたい整っているんだけど、一つ余っているところがあるんだよ。 その余っているところを、貴女の『足りない部分』に押し塞いで国々を産んでみたいと思う」

といったなかなか男女のリアルな描写がしてあります。

話を戻しますと、イザナミが火之神である 火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ) を産んだときに、女陰に火傷をして、それが原因で死んでしまうんですね。
イザナキは、死んでしまった妻に会いたくて、死者の国である 『黄泉の国(ヨミノクニ)』 までイザナミに会いに行きます。(黄泉の国でのいろいろな話がでてきますが、ここでは触れません。)
そして、黄泉の国から帰ってきたイザナキは、

イザナキ: 「吾(わたし)はなんと、穢れた国に足を踏み入れてしまったのだろう。 この身も随分穢れてしまっているに違いない。」

と筑紫の国の日向の橘の小門の阿波岐原と言うところで、禊ぎを行う。 とあります。

いよいよ禊ぎの場面ですが、 イザナキは、禊ぎを行うために、身につけているものを次々と脱いでいったのです。
投げ捨てたから生まれた神は、 衝立船戸神ツキタツフナトノカミ
投げ捨てたから生まれた神は、 道之長乳歯神ミチノナガシハノカミ
投げ捨てたから生まれた神は、 時量師神トキハカラシノカミ
投げ捨てたから生まれた神は、 和豆良比能宇斯能神ワズライノウシノカミ
投げ捨てたから生まれた神は、 道俣神チマタノカミ
投げ捨てたから生まれた神は、 飽咋之宇斯能神アキグイノウシノカミ
投げ捨てた左手の手纏から生まれた神は、 奥疎神オキザカルノカミ、 奥津那芸佐毘古神オキツナギサビコノカミ、 奥津甲斐弁羅神オキツカイベラノカミ
投げ捨てた右手の手纏から生まれた神は、 辺疎神ヘザカルノカミ、 辺津那芸佐毘古神ヘツナギサビコノカミ、 辺津甲斐弁羅神ヘツカイベラノカミ

身につけているものを全て脱いでしまうと、
イザナキ:「上流は流れが激しいし、下流は流れが弱いから、中流にしよう。」と水の中に入りました。
初めて身をすすいだ時に生まれた神は、 八十禍津日神ヤソマガツヒノカミ、大禍津日神オオマガツヒノカミ
次に生まれた神は、 神直毘神カムナオビノカミ、大直毘神オオナオビノカミ、伊豆能売イズノメ
水底で身をすすいだ時に生まれた神は、 底津綿津見神ソコツワタツミノカミ、底箇之男命ソコツツノオノミコト
水中で身をすすいだ時に生まれた神は、 中津綿津見神ナカツワタツミノカミ、 中箇之男命ナカツツノオノミコト
水面で身をすすいだ時に生まれた神は、 上津綿津見神ウエツワタツミノカミ、 上箇之男命ウエツツノオノミコト

そして
左目を洗った時に生まれた神は、 天照大御神アマテラスオオミカミ
右目を洗った時に生まれた神は、 月読命ツクヨミノミコト
鼻を洗った時に生まれた神は、 建速須佐之男命タケハヤスサノオノミコト

イザナキ:「最後の最後にこんな素晴らしい三柱の神を生むことができるとはっ!」
伊耶那岐命は最後に生まれたこの三柱の神,三貴子の誕生を知って非常に喜びました。
そして、天照大御神に自分の首飾り(御倉板挙之神)を下賜し、
イザナキ:「天照大御神よ、あなたは高天原を治めなさい。」と委任したのです。
また、月読命・建速須佐之男命にもそれぞれ、
イザナキ:「月読命よ、あなたは夜之食国を治めなさい。建速須佐之男命よ、あなたは海原を治めなさい。」
と委任しました。

最後の3柱(柱とは、神様を数える時の単位?です)の神様の名前は、 聞いた事がある方も多いのではないでしょうか。

神道のキモ② 産霊(むすひ)とは

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神道のキモ③ 直会(なおらい)とは

神様へのお供え物を「神饌(シンセン)」と呼びます。日本人の一番大事な食べ物である「お米」を筆頭に、 米をついたお餅や、米を醸したお酒、また海の幸、山の幸、野の幸、お塩にお水に至るまで、 ありとあらゆる自然の恵みを神饌として、神様にお供えします。
日本における神様とは、自然の力そのものですから、 分けていただいた自然の恵みをお供えするのは当然の形と言えますね。

お供えした神饌を神様に食べて戴き、感謝の気持ちを表すことが、日本のお祭りなのです。 神様を『お招きした大事な客人』とすると、 神饌は『客人をもてなすご馳走』、 神祭り・祭典・直会は『客人といっしょに盛り上がる宴会』です。
同じものを一緒に食べるという行為は、相手をより親しい存在として感じることができますが、 日本人は、「共食」という行為に対して特別な感情を持っていた ようです。
現在でも、学生時代のクラブ活動などで、「同じ釜の飯を食った仲間」は 時を経ても心を許せる親友となり得ますし、 任侠の世界でも「盃をかわす」ことに特別な意味があるようです。
結婚式の三三九度の盃や、親族固めの盃も、お下がりの御神酒を飲み交わしますのも同様と言えましょう。

あまり一般に知られていませんが、 皇太子が皇位を継承し新しく天皇となった時のみに行われる 「大嘗祭(ダイジョウサイ)」では、 新しい天皇は、殿内の天照大御神と対座する場所に座り、 みずからが食器のかわりとなる柏の葉に神饌を盛っていきます。
ここで、天照大御神をはじめ代々の天皇の 御霊に神饌を食べていただくと言う意味です。
そして供膳が済むと天皇は頭を下げ、自らもその神饌をお食べになります。
神々の御霊と共食し、天照大御神や代々天皇の御霊と一体となり、 天皇としての神威というかエネルギーを身に付けられるんですね。
皇位の継承とは、
天照大御神をはじめとする代々の天皇の御霊との「共食」である、
日本文化の神髄が神との共食にあるのです。

神様のこと

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やっぱり伊勢の神宮

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