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このページでは、当社相殿神、または、当社宮司が兼務している神社の御祭神について説明しています。

御祭神の説明については、「古事記」や「日本書紀」等の本文の掲載が筋ではありますが、 わかりやすくなくては意味がないので、神社新報社発刊の『日本神名辞典』もしくは、学研から出版されている 『エソテリカ事典シリーズA日本の神々の事典』を引用または抜粋要約して 説明させていただいております。説明文欄の( )内は各執筆者名です。
なお、文書引用については、神社新報社、学研並びに各執筆者の 先生方から快諾を得ることができ、大変感謝しております。有り難うございました。

なお、神様の名前の横に書いてある神社名は、旧呉市内でその神様をお祀りしている当社兼務社の神社名です。

天日方奇日方命
(アマノヒカタクシヒカタノミコト)

鯛之宮神社
三輪叢書所蔵の系譜に「事代主神と、大陶祇命の娘活玉依比賣命の 御子」とあり、神武天皇皇后の兄、大神朝臣・賀茂朝臣・石辺公の祖とされています。
また、神武天皇の時、食国政申大夫として橿原宮に供奉したと言われています。
(神社新報社 日本神名辞典)
天吉葛神
(アメノヨサヅラノカミ)

亀山神社
与曽豆羅ともいいます。日本書紀第五段一書第三によれば、 伊弉冉尊(イザナミノミコト)は火神軻遇突智(ヒノカグツチ)を生んで火傷に苦しみながらも、 土神埴山姫(ツチノカミハニヤマビメ)と水神罔象女(ミズノカミミツハノメ)とともに、 天吉葛神を生んでいます。
(神社新報社 日本神名辞典)
宇気母智神
(ウケモチノカミ)

亀山神社
食物神で、日本書紀には保食神(ウケモチノカミ)とあります。 日本書紀一書第11によれば、天照大御神の兄弟の月夜見尊(ツキヨミノミコト)が、天照大御神の命 で保食神のもとへ降りていった時に、保食神は自分のくちから出した海山の数多くの食物を 月夜見尊に奉ります。
しかしこれを見て月夜見尊は、「穢しきかな、いやしきかな、 寧(イズクニ)ぞ口より吐(タグ)れる物を以て、敢えて我に養(ア)うべけん」と、 怒りにまかせて剣を抜いて保食神を殺してしまいました。
天にかえって報告したところ天照大御神は激しく怒り「汝は悪しき神なり。隔て離れて住みたまふ 」と言っています。ゆえに月と太陽は顔を合わせなくなり交代で天に現れるようになったと言い ます。
殺された保食神の体から牛馬・蚕・稲をはじめ五穀が生まれたとあります。
月と農耕の深い関係を、この神話は物語っているといえます。

(國學院大學日本文化研究所助教授 茂木栄)
大己貴命
(オオナムチノミコト)

鯛之宮神社
国津神
出雲に鎮まる国作り神話の主人公です。
『古事記』、『日本書紀』ともに大国主神(オオクニヌシノカミ)と記されています。 (出雲大社の御祭神が大国主神であることはご存じの通りです) 『古事記』では須佐之男命(スサノオノミコト)の6世の孫で、大穴牟遅神(オオナムジノカミ) 、大国主神(オオクニヌシノカミ)葦原色許男神(アシハラシッコオノカミ)、 八千矛神(ヤチホコノカミ)、宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)の 計5つの名を持っています。『日本書紀』では清之湯山主三名狭漏彦八嶋野 (スガノヤマヌシミナサルヒコヤシマノ)の5世の孫とあり、国作大己貴命 (クニツクリオオアナムチノミコト)、大国主神(オオクニヌシノカミ) 葦原醜男(アシハラシコオ)、八千戈神(ヤチホコノカミ)、大国玉神(オオクニタマノカミ)、 大物主神(オオモノヌシノカミ)、顕国玉神(ウツシクニタマノカミ)の計7つの名を 持っています。
大国主神を主人公にした神話は、
@稲羽(因幡)素兎神話(イナバノシロウサギシンワ)
A根の国神話
B八千矛神の神話
C国作り神話
D国譲り神話
にわたっています。『古事記』の「始めて国を作りたまひき」と言う一文は、 「偉大な国の主」としての大国主の命名を端的に示しているといえるでしょう。
@からBは『古事記』のみにあり、『日本書紀』には見られません。その意味で、 大国主神と言う名辞は、国土完成に至る神話の主として、『古事記』のみで機能していると いって良いでしょう。
また此の神名が、大穴牟遅神を核として、葦原色許男神や八千矛神などの またの名を統合して、『古事記』において成立したことは、すでに説かれています。
Cは、『古事記』及び『日本書紀』8段一書第6に記述があります。少名毘古那神(スクナビコナノカミ) との国作り、大物主神との国作りがそれであり、前者が農耕的国作り、後者が神祭りによる 国作りという相違があります。また『古事記』に即して言えば、大物主神を「亦の名」に 加えていない点に特徴があり、その構想に基づく一貫した読み方が要求されるといえます。
この記紀の相違は、Dの国譲りの主神が『古事記』では一貫して大国主神で語られ、 『日本書紀』本書では大己貴命とある事につながります。
(國學院大學文学部教授 青木周平)
大山津見神
(オオヤマツミノカミ)

八咫烏神社
国津神
伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の神生みの時に生まれた 山の神で、山岳修験でも篤く信仰される山をつかさどる神です。

天孫降臨の後、邇邇芸命(ニニギノミコト)が出会ったのが、大山津見神の娘で、 神阿多都比賣(カムアタツヒメ)〈別名を木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)〉です。 大変美しい彼女を見た邇邇芸命は、大山津見神に木花之佐久夜毘売との結婚を申し入れました。 天照大御神の孫である邇邇芸命との結婚話を大山津見神は大変喜び、 木花之佐久夜毘売の姉である石長比賣(イワナガヒメ)と共に嫁に行かせました。 しかし石長比賣は、醜いという理由で返されてしまいました。
大山津見神は大いに恥じて、「石長比賣を副えたのは、『御子の命は雨風が吹いても 石のごとく不動であれ。木花之佐久夜毘売は木の花が栄えるごとく御子に栄えあれ』という 祝いの意味があったが、石長比賣が帰されると言うことは、御子の寿命は木の花のごとくである」 と申し入れました。

これが、世の人間が短命であることの理由になったと言われています。
(國學院大學文学部講師 中嶋宏子)
大歳神
(オオトシノカミ)
御歳神
(ミトシノカミ)
若歳神
(ワカトシノカミ)

大歳神社
国津神
これら3神の「歳」の字は、古事記、日本書紀、古語拾遺などの書物によっては 「年」が使ってあったり、「御年神」とかいて『オオトシノカミ』と呼んでいたりと、 表現がまちまちです。 「年」の字は、年月を表すのではなく、稲の熟するまでの期間を表す、と言われています。 これら3神は、一般に農耕神と考えられているので、「年」の字の方がぴったりはまりそうですから、 ここでは、「年」の字を使って説明します。
御年神、若年神は共に大年神の子供です。
大年神は、『古事記』の八俣大蛇の段・出雲の神統譜に、素佐之男命(スサノオノミコト)が 大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘、神大市比賣(カムオオイチヒメ)を 娶って生んだ御子で、穀神であるとされています。農耕神の根本的中心的存在として、 民間でも広く信仰されています。
又、その子である御年神・若年神も稲の神、若い稲の神であるとされ、穀神です。
祈年祭(穀物の豊作を祈って毎年2月17日に宮中で行われる祭)に大年神をお祀りしますが、 『古語拾遺』に次のような伝承があります。
「・・・大年神の怒りにふれ、田畑の苗はたちまち枯れ果ててしまった。そこで大地主神は、 大年神に白猪・白馬・白鶏を献じて怒りを解いてもらおうとした。大年神は怒りを解き、 さらに農耕の知恵を授け、稲は豊かに実ることができた。」 この伝承が元で、祈年祭では今でも白猪・白馬・白鶏を捧げています。

又、大年神は、大国主神が「一人でこの国を治めるのは大変なことだ」と思案しているときに、 名乗り出て国土経営に協力し助けた神様でもあります。
(鶴ヶ丘文庫 加藤健司)
奥津日子命
(オキツヒコノミコト)
奥津比賣命
(オキツヒメノミコト)

照日神社 平原神社 亀山神社
大年神の系譜段に見られ、 大年神と天知迦流美豆比賣との間の第1子と第2子。 奥津日子・奥津比賣を合わせて一神と数えています。先代旧事本紀では奥津彦命、奥津姫命と あります。
「奥津」に関して記伝では「奥津は地名か」とありますが、「奥」を沖 (空間的に遠い場所・時間的に最も遅いの意)と言った説もあります。
(神社新報社 日本神名辞典)
久久能智神
(ククノチノカミ)

亀山神社
天津神
樹木をつかさどる木の神。『古事記』では久久能智神、『日本書紀』では句句迺馳(ククノチ) と記されています。
『古事記』に依れば、伊耶那岐・伊耶那美命(イザナキ・ イザナミノミコト)は、神婚による国生みの後、神々を生みます。その12番目に生まれたのが、 木の神・久久能智神です。
このときに生まれた神々は自然神としての神格を表す神々で、 海の神(大綿津見神オオワタツミノカミ)、風の神(志那都比古神シナツヒコノカミ)、 山の神(大山津見神オオヤマツミノカミ)、野の神(野椎神ノヅチノカミ)等々です。 神名の「クク」は茎のことで、草木の幹の立ち伸びるさまを表し、「チ」は男性の美称であると、 本居宣長は言っています。
『日本書紀』ではこの場面を、「次に海(うなはら)を生む、次に川を生む、次に山を生む、 次に木の祖(おや)句句迺馳を生む、次に草の祖(おや)草野姫(カヤノヒメ)を生む、 亦は野槌と名く」と記しており、句句迺馳を木の生みのおやと表現しています。 このことを折口信夫は、「山川に生えている眺める樹木ではなく、建築用材の木の霊魂」を 表す意図がある、と言っています。
(國學院大學文学部教授 茂木栄)
言代主神
(コトシロヌシノカミ)
通称:えべす様

恵美須神社 鯛之宮神社
国津神
『古事記』では事代主神、八重言代主神、『日本書紀』では事代主尊(ミコト)と、 記されています。大国主神と神屋楯比賣命との子供で、託宣をつかさどる神と言われています。
『日本書紀』では、神武天皇以下、綏靖(スイゼイ)・安寧(アンネイ)天皇の妃が 事代主神の子・孫であり、天皇系譜と強い結びつきを示していますが、 『古事記』では見られません。
天皇家の関わりは、神功皇后の神祭りの場面で信託したり、天武天皇元年(673)7月に 高市県主許梅(タケチノアガタヌシコメ)に神懸かりしたり、天武天皇が壬申の乱に勝つために 神武天皇の御陵に馬や兵器を奉れとの託宣を下したりと、 いわば天皇の守り神的な性格を持つと言われています。
(國學院大學文学部教授 青木周平)
高オカミ神
(タカオカミノカミ)

貴船神社
「オカミ」と言う字は、雨の下に口を3つ横に書いてその下に龍 を書きます。ATOK13辞書にはあるのですが、HTMLにすると出てこないんです。
伊耶那岐神が剣を抜き迦具土神を三段に斬り殺したときに化生した三柱神の一神。
「高」は闇(渓谷の意)に対して山峰の意、「オカミ」は水を掌る竜神。祈雨・止雨の神として 信仰されています。古事記には出てきませんが、日本書紀に出てきます。
(神社新報社 日本神名辞典)
高城入毘賣命
(タカキノイリビメノミコト)

貴船神社 平原神社 高日神社
品陀真若王(ホムダノマワカミコ)の娘で、姉妹の 中日売命、弟日売命とともに応神天皇の妃となり、5人の子を産みました。 景行天皇の曾孫にあたります。
(神社新報社 日本神名辞典)
高御産巣日神
(タカミムスヒノカミ)

亀山神社
天津神
『古事記』では高御産巣日神、『日本書紀』では高皇産霊尊と記されています。
『古事記』において八百万神(ヤオヨロズノカミ)に先駆け、 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、神産巣日神(カミムスヒノカミ)とともに最初に 高天原に成りました(現れる)神です。また、「造化三神」の一神であり、この造化三神と この後に高天原に現れる宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)、 天之常立神(アメノトコタチノカミ)を加えて「別天津神(コトアマツカミ)」とも称されます。
記紀神話の中で多数の神話伝承を有しており、「高木神」「高皇産霊尊」等の 別名でも登場しています。
記紀神話は、その内容から天照大御神を中心とする「高天原系の神話伝承」と、大国主神を 中心とする「出雲系の神話伝承」に大別できますが、同じ造化三神の一神である神産巣日神が 「出雲系神話」に登場するのに対して、高御産巣日神は「高天原系神話」に多数描かれ、 神話伝承の多くに天照大神と同様に主要な神として位置づけられています。
神話伝承の中で、「天照大神、高御産巣日神の命を以て・・・詔(ノ)りたまはく。・・・」 と言った記載が何度か有り、天照大神と共に諸神に「命じる立場の神」として描かれています。
『日本書紀』でも高御産巣日神の記載は『古事記』同様に多数あります。 「神武天皇即位前期」には、大和の国の鳥見山中にて神武天皇(第一代天皇)自らが 高皇産霊尊を祀(マツ)る「顕斎(ウツシイワイ)」の記述などもあることから、 古来より、天照大神と同様に皇室を守護する主要な神として理解されていたことが伺いしれます。
江戸時代の国学者・本居宣長は、高御産巣日神・神産巣日神の働きは、万物を生成する「むすひ」 の働きをつかさどる神であることを主張しています。
(神社本庁 神保郁夫)
健角見神
(タケツヌミノカミ)

八咫烏神社
健角見命(タケツヌミノミコト)の方が一般的だそうです。 八咫烏とも言います。
神武天皇の東征の時に、皇軍を熊野から大和に導いて功をあげます。 後に山城に鎮まりました。
(神社新報社 日本神名辞典)
玉依毘売神
(タマヨリヒメノカミ)

八咫烏神社
国津神
『古事記』では玉依毘売命、『日本書紀』では玉依姫と記されおり、海神(ワタノカミ)の娘で、 豊玉毘賣命の妹にあたり、鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の妃となる。 鵜葺草葺不合尊との間に、彦五瀬命(ヒコイツセノミコト)・稲飯命(イナヒノミコト)・ 三毛入野命(ミケヌノノミコト)・神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレビコノミコト)の4神を 産みます。末っ子の神日本磐余彦尊は、初代天皇とされる神武天皇です。

しかし、『玉依毘売』というのは特定の神を指す固有名詞としてではなく、 普遍的な意味を持つ名称として使われることが多くあります。
「玉」は「霊」神霊のことであり、「依」は寄り憑くことを意味し、 すなわち神霊が憑依する女性、巫女を表すといわれています。
玉依毘売を祀った神社は全国に数多くありますが、同じ玉依毘売とは限りません。
(埼玉県立埼玉資料館 三田村佳子)
火之加具土神
(ヒノカグツチノカミ)

亀山神社
天津神
『古事記』では火之迦具土神、『日本書紀』では火神軻遇突智(ヒノカミカグツチ)と記され、 『古事記』に火之夜芸速男神(ヒノヤギハヤオノカミ)、火之R毘古神(ヒノカガビコノカミ)、 『日本書紀』に火産霊(ホムスビ)と言う別名を持っています。 いずれも「火」という文字が用いられ、火の神であることは明らかです。
「カグツチ」とは、火が燃える様を表すカグと神霊を意味するチからなっており、別名 「ヤギハヤヲ」は、ヤギ=焼きと、ハヤ=速い、男神を表すヲで、瞬く間に物を焼いてしまう 火の勢いの強さを表します。「カガビコ」は、火が輝(カガや)く様子を神格化した男神(ビコ)で、 いずれも火の燃える様子からつけられた神名です。
「ホムスビ」は前述の神名と趣が異なり、ホは火、ムスビは物を生成する神秘的な力を表す言葉 (この頁の高御産巣日神の欄にもあります)で、火が何かを生み出す神秘な力を持っていることを 示しています。
『古事記』に語られる神話によれば、国生みを終えて次々と神々を生み出した 伊耶那美命(イザナミノミコト)が、火之加具土神を生んだときに陰部を火傷し、 それが原因で亡くなってしまいます。そのため、火之加具土神は嘆き悲しんだ伊耶那岐命 (イザナギノミコト)によって十拳(トツカ)の剣で首を切られて殺されてしまいます。 ちなみにそのとき剣に付いた火之加具土神の血から八神が、切られた体から山に関係する 八神がそれぞれ生まれています。
『日本書紀』によれば、伊弉冉尊は火神軻遇突智を生んで火傷に苦しみながらも、 土神埴山姫(ツチノカミハニヤマビメ)と水神罔象女(ミズノカミミツハノメ)を生み、 火神軻遇突智は土神埴山姫と結ばれて稚産霊(ワクムスヒ)を生みました。 この稚産霊からは、蚕と桑、五穀が生じたとされてます。
火の神の殺害は火の制圧を表すとも言われます。そこから多くの神々が生じたことに関しては、 諸説ありますが、五穀が生じたことは焼き畑農耕と関係があると考えられています。

母神を死亡させ自身も殺害されながら多くの神々を生じさせるという神話の筋を見れば、 「破壊」と「生成」という正反対の力を持つ火の力がこの神によって表されていることは 確かでしょう。制御しなければあらゆる物を焼き尽くしてしまう火、 しかしそれを上手く利用することによって、作物や道具を生み出すことができる火。 そのような火の力を体現しているのが、火之加具土神なのです。
(國學院大学講師 島田潔)
萬幡豊秋津師比賣命
(ヨロズハタトヨアキツシヒメノミコト)

亀山神社
高御産巣日神の娘で、天忍穂耳命 (アメノオシホミミノミコト)の妻となり邇邇芸命を生みます。
「萬幡」は多くの機織・ 「師」は技師・「豊秋津」は上質の布とする説と、稲が豊かに稔ると解く説があります。
  (神社新報社 日本神名辞典)
稚日売神
(ワカキヒメノカミ)

照日神社
調べてみたのですが、よく解らないので調べておきます。


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