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靖国神社はなぜ問題になるの?
國神社は首相が参拝するかしないかでよくマスコミにも取り上げられるので、 「國神社」という名前は、皆さんよくご存じだと思います。
しかし、御祭神は誰でどんな御利益があるの? なんでマスコミが騒ぐの? 何で中国や韓国が文句を言うの?
となると、よく判らないと言う人も多いんじゃないでしょうか。
と言うことで、
國神社 公式ホームページと、 インターネットフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「靖国神社」を参考文献として、 僕の個人的な主観も混ぜながら、 ここでは國神社の色々なことについて説明していきたいと思います。

いわゆる「靖国問題」は、政治的・思想的な問題が大きく絡んできます。 こういった問題を議論・考察していく上で、一番重要なことは、「中立な立場」 な視点を忘れない、と言うことだと思います。 「靖国神社」や「戦犯」でネット上の検索を掛けてみますと、沢山のページがヒットします。 その中には、極右派・右派・若干右派・(中立)・若干左派・左派・極左派の それぞれの立場で書かれたページがあると言うことです。

インターネットフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』はその点にはかなり神経を使った記述がしてありまして、 思想的な問題が絡む項目については、『中立的な観点   この記事について、中立的な観点の面から議論中です。詳しくはこの記事のノートを参照してください。』という注意書きが 項目の最初に掲げてあります。

「完全なる中立」という立場は多分不可能でしょうから、 実際にはどちらかの意見のニオイが漂うページだと思われますが、 インターネットフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、なるべく中立な右派・左派の両意見も 掲載されている点で、非常に優れていると思っております。
それぞれの立場で意見が書かれていることは、決して悪いことではなく、当然のことだと言えます。 その中で、色々な立場の意見を読み比べて、自分の意見や立場を決めていくことが重要です。

多分僕が以下に記載していく内容は、立場を分けるならば、世間一般では右派 ということになるでしょうね〜
逆に、多くの平和団体等のホームページに掲載されている意見や立場は、左派ということになるでしょうか。

基本的に平和団体は旧社会党や共産党が支持母体の団体が多いですからね。 原水禁と原水協があるのも、旧社会党系共産党系 で別れているから、と言う認識で多分間違いないと思います。

繰り返しになりますが、大事なことは、色んな立場の意見があるという事を知ること、 両方の立場を知った上で自分の立場を決めて行くこと、だと思います。

  
國神社の概略

明治元年(西暦1868年)、日本に明治新政府が誕生したわけですが、 その際に新政府となった朝廷側と、旧体制であった 江戸幕府側に分かれて、日本国内で内戦が起こりました。
それを 「戊辰戦争」と呼ぶことはご存じの通りです。

この 戊辰戦争で、朝廷側の戦死者を慰霊するために明治2年(西暦1869年) につくられたのが、國神社の前身である「東京招魂社」です。

朝廷側の戦死者を・・・と言う点からも容易に想像がつきますが、明治天皇の思し召しにより創建されました。 自分たちを敵と見なして戦争してきた側のもの達を普通に考えれば、一緒に祀らないですからね〜



靖国神社

國神社 公式ホームページ から引用すると、
明治12年に靖国神社と改称されて今日に至っている。
後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの、 国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の 西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、 斃れた人達を祀ることになった神社である。

■靖国神社御祭神戦役・事変別柱数■
明治維新
7,751
西南戦争
6,971
日清戦争
13,619
台湾征討
1,130
北清事変
1,256
日露戦争
88,429
第一次世界大戦
4,850
済南事変
185
満洲事変
17,176
支那事変
191,250
大東亜戦争
2,133,915
合計
2,466,532
(平成16年10月17日現在)
となっております。
あれだけマスコミで話題になり、「靖国神社」の名前は知っていても、 靖国神社にお祀りされている神さまは、戦没者である、 と言うこと知らなかった人も沢山いらっしゃるかもしれませんね。

古事記や日本書紀の神話に出てくる神々をお祀りするいわゆる一般的な「神社」とは、 御祭神がまったく異なります。


「戦没者をお祀りすることは戦争を美化することだ」と主張する人達もいらっしゃいますが、 僕はそうは思いません。戦争は、国と国、政府と政府同士の国益の争いによりやむを得ず突入していくものですが、 戦死なされた人々のほとんどは元はと言えば民間人です。
戦争よりも平和に暮らせる方が良い、と思っていた人達ばかりのはずですよね〜

そんななかで、国の為に(というよりも愛する家族が安心して暮らせる日本である為に、 と言う気持ちの方が強いのではないかと思うのですが、現在の人間である僕が、 安易に彼等の気持ちを想像しない方が良いのかもしれません)戦い、死んでいった人達に感謝の気持ちを表すことは、 当然のことと思います。

戦没者の御霊を慰める靖国神社御霊祭 大勢の参拝で賑わいます

ちなみに僕は、東京に行く際には必ず靖国神社にはお詣りしてきます^^

戦犯がお祀りされている?

靖国神社には、戦犯(戦争犯罪人)が祀られています。
中国や韓国が、日本国内で日本国首相が靖国神社にお詣りすることについて抗議してくる、と言う 内政干渉まがいの行動に出てくる争点はこの部分にあるでしょう。

そもそも第2次世界大戦(大東亜戦争または太平洋戦争)における戦犯とは何なのか、以下に書いてみたいと思います。

ここでは、ウィキペディア『戦争犯罪』を参考・引用して僕の主観も織り交ぜつつ…


近代の戦争犯罪の概念的なものや、戦争犯罪の定義の詳細については、ここでは省略しますので、 ご興味のある方はこちらをご覧下さい。

靖国神社に祀られている戦犯とは、 1946年(昭和21年)1月19日に降伏文書およびポツダム宣言の第10項を受けて、 極東国際軍事裁判所条例(極東国際軍事裁判所憲章)が定められ、 1946年(昭和21年)4月26日の一部改正の後に行われた裁判 「極東国際軍事裁判」(東京裁判とも呼ぶ)によって 戦争犯罪人と裁かれた人達のことです。

第2次世界大戦に於ける戦犯の定義

前述の 「極東国際軍事裁判」において、 極東国際軍事裁判所条例が制定されました。

■極東国際軍事裁判所条例第5条■

人並ニ犯罪ニ関スル管轄 本裁判所ハ、平和ニ対スル罪ヲ包含セル犯罪ニ付個人トシテ又ハ団体員トシテ 訴追セラレタル極東戦争犯罪人ヲ審理シ処罰スルノ権限ヲ有ス。

(イ)平和ニ対スル罪
即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ 計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。

(ロ)通例ノ戦争犯罪
即チ、戦争ノ法規又ハ慣例ノ違反。

(ハ)人道ニ対スル罪
即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、 若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ 遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。 上記犯罪ノ何レカヲ犯サントスル共通ノ計画又ハ共同謀議ノ立案又ハ実行ニ参加セル指導者、 組織者、教唆者及ビ共犯者ハ、斯カル計画ノ遂行上為サレタル一切ノ行為ニ付、 其ノ何人ニ依リテ為サレタルトヲ問ハズ、責任ヲ有ス。
漢字仮名交じり文で読みにくいですが、この条例第5条によって戦犯の区別もされたんですよ。
A級戦犯」「B級戦犯」 「C級戦犯」という呼び方は、よくご存じですよね?

A、B、Cという区別を 罪の重さによるランク分けの様に思っている人も多いのではないかと思いますが、全くの誤解です。
上に示した極東国際軍事裁判所条例第5条を英語で記した場合、 (イ)は(a)、(ロ)は(b)、 (ハ)は(c)となります。
この条例(a)項目により裁かれたという意味で「A級戦犯」、 条例(b)項目により裁かれたという意味で「B級戦犯」、 条例(c)項目により裁かれたという意味で「C級戦犯」、なんですよ。

ウィキペディア『戦争犯罪』を引用しますと、

極東国際軍事裁判で裁かれた被告は、条例の第1条に「重大戦争犯罪人」と記されているが、 国内では専らA級戦犯と呼称されているが日本国内法上A級戦犯という犯罪者は存在しない。
それは条例a項目により裁かれたという意味合であるが、 日本においては戦争を行ってしまった事が戦争責任として主に左派勢力から指摘追求される場合が多く、 戦争を引き起こした人物達 「平和に対する罪」がもっとも重視されており、 等級的上位を連想させるA級が定着したと誤解している人間も少なからず存在する。
とあります。
ここにもあるとおり、日本では左派勢力の影響によりいわゆるA級戦犯、つまり平和に対する罪が議論の的になっていますが、 ドイツでは、主要戦争犯罪人と言えば、もっぱらいわゆるC級戦犯、つまり「人道に対する罪」によって 裁かれた人達です。(もともとナチスの犯罪を処罰することが前提だったようです)

戦犯の問題点

僕が感じるところでは、二つの大きな問題点があると思います。

問題となっているいわゆるA級戦犯ですが、
その根拠となっている極東国際軍事裁判所条例第5条(イ)を、勝手ながら今風の言葉で書き直してみますと、
(イ)平和に対する罪
すなわち、宣戦を布告した、または、宣戦を布告していない侵略戦争、 もしくは国際法・条約・協定または誓約に違反した戦争の、 計画・準備・開始、または遂行、もしくはこれらの諸行為の いずれかを達成する為の共通の計画や共同謀議への参加。
となります。

同様に、(ハ)人道に対する罪ですが、
(ハ)人道に対する罪
すなわち、戦前または戦時中に行われた殺人、殲滅(皆殺しって事ですね)、 奴隷的虐使、追放、その他の非人道的行為、・・・(長いので以下略)
となります。

もちろん、「戦争」という大変な非日常空間の中で殺傷能力の高い兵器をもって戦っていた軍人達の精神状態は、 現在の日本に生きる我々には想像し得ないものであったはずです。
日本軍はもとより、どの国の軍人達も、精神的狂気の中で行ってしまった残虐行為も有ったのであろうと思います。

日本が江戸時代に鎖国政策をとっていたことはご存じの通りです。 しかし鎖国は日本独自の政策という訳ではありません。
海禁政策」と言う名で東アジア諸国も同様の政策をとっていました。 当時は、「西欧列強によるアジア・アフリカ圏の植民地支配」 と言う図式が当たり前の時代だったので、 鎖国をして海外勢力を排除する努力をしなかった場合、中国・朝鮮半島・日本などの東アジアも、 東南アジア同様に西欧の植民地となった可能性は大きかったと思われます。
鎖国政策に対する評価は、ウィキペディア『鎖国』 に詳しく書かれていますので、ご参考にして下さい。


それはさておき
(なんて言ってると怒られるかもしれませんが…)
植民地支配を行っていた西欧列強国は非人道的じゃないの???  現地の人々を奴隷としても使ってただろうし〜と感じてしまいます…

広島・長崎に落とした原爆も、まさに殲滅ですよね。原爆によって戦争が終わったのだから、原爆投下は良かった、という 意見もありますが、民間人に対する無差別殺人には変わりは無いと思うのですが。。。

ウィキペディア『極東軍事裁判』を引用しますと、

判事の中で唯一の国際法の専門的研究者でもあったインドのラダ・ビノード・パール判事は、 判決に際して日本無罪論を発表し、「この裁判では、有罪とすることができない」と語ったことで知られている。
ただし、この意見は“日本を裁くなら連合国も同等に裁かれるべし”というものであり、 必ずしも日本の正当性を認めるものではない。
また、フランスのアンリー・ベルナール判事は 「すべての判事が集まって協議したことは一度もない」と後に問題点を指摘した。

極東国際軍事裁判は魔女狩り同然であったとの意見もある。
なぜなら戦争犯罪はどこの国でも犯しているものであり、 勝者が敗者を裁くこと自体卑劣な復讐劇に過ぎないからである。
アメリカの原爆投下も、 日独に対する無差別空爆も、ソ連のポーランド侵攻も、ベルリンにおけるレイプもすべて不問とされた。 真の戦争犯罪とは、戦争に負けることだといえる。
第二次ポエニ戦争でローマを侵略したハンニバルを、勝者となったローマがA級戦犯として処刑したであろうか? これは極端な言い方かもしれない。しかし法は公正に施行されるべきものである。

欧米などでは、判事や関係者による指摘が起こるとともに国際法学者間で議論がされ、 裁判に不備があったという意見が大部分であったといわれている。 なお、ロンドンタイムズなどは、2か月にわたって極東国際軍事裁判に関する議論を掲載した。

とあります。

この裁判は、当時合法もしくは常識だったことを、後につくった法により遡って裁いたこと、
(後につくった)法により裁判をしたにも拘わらず、法は公正に施行されず、 戦勝国が敗国を一方的に裁いたものあること、
この2点は大きな問題点であり、この裁判自体の有効性に大きく疑問がわくところです。

この項目は、最初に述べた色々な立場によって、かなり意見が分かれるところです。 学者や専門家でも激しく議論がなされているポイントでもあります。 僕自身まだまだ知識や勉強足りていませんし、文献や資料の上っ面だけ呼んで間違った理解をしてるかもしれません。

以下工事中
この引用の中にでてきたパール判事の話などは、 右派系の書物や文献には必ず出てくる大変に有名な話です。
学校の教科書でも、最近教科書採択で話題になった扶桑社の教科書には出ているのではないでしょうか。 公立学校の世界では ウィキペディア『日本教職員組合』 日教組が強い(強かった)為に、日教組の色が出た左派系色が強い(強かった)ようです。 ご存じの通り、日教組とは、旧社会党が中心となっている教職員の組合です。 共産党との対立により日教組は分裂し、 全教という団体ができました。原水禁・原水協が別れているのと似ているのかな?
従って、公立学校で採択されている教科書も左派系に寄っているのではないかという意見が強まり、 最近の扶桑社の教科書採択問題に至っています。


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