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神道って何?


表紙にもあるとおり、まだこのHPは「お遊び」のレベルなので、 神道神学の本から抜粋したような内容ではなく、あくまでも僕の私見で申します。
幼稚な言葉の羅列になりますが・・・


亀山神社 社殿正面にて 

お寺→仏教、教会→キリスト教、神社→神道

となります。つまり宗教の名前です。

神道は、大別して2つの種類があります。

いわゆる一般的な神社の「神社神道」(当社も神社神道の神社です)
そして神社神道に対して、神道系の信仰宗教のような「教派神道」
です。

例えば出雲大社は神社神道の神社ですが、出雲大社が教祖様?になってつくった 大社教 (おおやしろきょう)と言う教派神道があります。
広島県にも出雲大社広島分祠 (広島出張所のようなモノ)がありますが、 これが教派神道大社教の教会です。

他の宗教にも似たようなモノはありますね。創価学会も仏教系の信仰宗教という 位置づけになりますか。(間違っていたらご指摘下さい)

日本人は無宗教だ、とよく言われますが、実はそれこそが神道の本随だと思います。

なぜならば、神道は自然の恵みに感謝し、自然のモノ一つ一つに神を見ています。
農耕民族であったからこそですが、適度に雨が降り、適度に日が照って くれなければお米は出来ませんから、雨の神様、日の神様に感謝しお願いします。
山の神様に ご挨拶して山に入り、木の神様にご挨拶して木を切ります。
大地の神様にご挨拶して土を 掘り返し耕します。
雨は山によって浄化され、川に流れ出ます

日本人は、長い歴史の中で自然と喧嘩はできないことを良く知っていたんですね。
例えば、稲作に限って考えて見ますと、日本の稲作の特徴は、古代より治水、灌漑、排水 等の点で、 非常に進んだ人為的技術の発展をしてきました。

國學院大學の宗教学教授でいらっしゃる薗田稔先生も良くおっしゃっていましたが、
「手の延長」である農機具の発展よりも、「大地の延長」として 土地改良の発展 が主であった事が重要な意味があります。
この美しい棚田は、日本人の知恵と努力の結晶です!



つまり灌漑による水田化という 土地改良は、 何度手を加えていっても決して自然とは対立せずに、 結局文明的自然に帰着する すぐれものな訳です。

農機具・道具の発達は自然とは異質の文明を生んでしまい人間を結局は自然から 疎外してしまいますが、大地の改良は穏和な日本の気候自然条件を さらに豊かな風土に仕立て上げ、ますます自然を尊重し、 その恵みに人為以上の神意を感得 せしめるわけですね。

自然のモノ一つ一つに神を感じる日本人古来の宗教感覚はこのようにして 育ったに違いないと思われます。

八百万の神(ヤオヨロズノカミ)と言うように、神道では800万の神がいるわけです。 (厳密に800万というわけではありません) だからこそ、過去に、仏教が伝来しても、キリスト教が伝来しても、 自分たちの神以外の モノを排除するための戦争を起こさず、800万いる神の一つとして、 新しい神や仏を おおらかに受け入れることが出来たんじゃないですかね~
現在、初詣に神社に詣り、バレンタインデーにチョコをあげ、 クリスマスにパーティーをやっていますが、それで良いのではないでしょうか。
すべてを受け入れられるすごい宗教だと思います。

「○×△しないと、天罰が下る」等、人の不安をあおる事によってお詣りをさせる、 と言った考え方は神道にはありません。 また、八百万の神がいらっしゃると考える多神教だからこそですが、他の宗教に対して 排他的でもありません。 最近問題になっている宗教団体の問題は この辺りに関わっているような気がします。もちろんそれを信じる方にとっては、 それによって救われていると感じているわけですから、難しいですね。


前述の通り、神道の一番の基本は自然の恵みに感謝すること(自然崇拝)であり、 悪いことが起こった場合でも「自然の流れ」なのだと、おおらかに受け入れることです。

雨が降らず米が出来ないことは仕方がないわけで、人間にはどうしようもできない 自然の大きな力に感謝しお願いするわけです。

現代のことで言えば、合格祈願をした 学校が不合格であっても、「自分には合わない学校だと言う神の計らい(自然の流れ)」と 考えます。

すべてのことは自然の流れであり、神のお計らいであり、感謝する。 前向きで、楽天的?で、物事を良い方に考えるすごい宗教 だと思うのですが、どうでしょうか?

前向きな考え方は人の不安を軽減できます。不安をあおっておいてその不安を 取り除くための宗教行為をする宗教は変な気がしますね。

様々な願いが込められた絵馬です

修学旅行で訪れたお寺に入らない、であるとか、仏教のお葬式で数珠を持たない 等々の話を聞くと、 ちょっと寂しいです。自分が信じている神以外の神様も認めて いければイイのになあ。 僕の高校時代の恩師である神父様は神社では柏手を打ち、 お寺では手を合わせてらっしゃいました。 一神教であるキリスト教の神父様なのに、すごい人だなあと思います。

「日本人は集団で固まりすぎる、個性がない」とよく 言われています。 度が過ぎるのは考え物ですが、 集団で固まることが悪で、個人主義が善で あるという考え方は欧米文化の受け売りでしかありません。
狩猟民族であった欧米は、個人が狩を頑張っていた、 狩が出来ないモノは能力のないぐーたらで、食料が無く死んでいったわけです。
農耕民族は、広い農地を地域の皆が力を合わせて作物を作り、皆が頑張れば皆裕福になり、 皆がさぼったり天候が悪かったりすれば皆が貧しくなったわけです。
さらに言えば、前述の通り、日本の稲作の歴史は、大地の延長たる土地改良の発展にありました。
農機具の発展に依らない農業の形態には、親密な共同労働が必要不可欠であり、 親族(イエ)や村落(ムラ)の連帯はきわめて大切なモノだったんです。

集団が善であるのは当然だと思うのですが・・・ 色々な文化の良いところを取り入れ、日本の文化もきちんと守っていきたいなあ~、と思います。


神に祈る?

食事の時の「いただきます」、「ごちそうさま」 と言う言葉。
これは誰に対して言っていると思いますか? 「食事を作ってくれた人への感謝の言葉です。」と言う答えが、 いまや大人からも返ってきそうです。

大人も子供も、ご都合主義で、個人主義で、人の気持ちを考えずいじめの絶えない、 すぐにキレる、そんな状態にある 今の日本は、こんな処から始まったのかもしれません。

食事がいただけるのは、もちろん調理してくれた方がいたからです。 でもそれだけではありません。
お米を作ってくれた人がいたからであり、 野菜を作ってくれた人がいたからです。
さらに、充分に太陽が当たり、適度に雨が降り、寒い時季には寒く、 暑い時季には暑くなってくれたからであります。
しつこいようですが、 これだけでもありません。

家の近くの食品売り場まで食材を運んでくれた流通に携わる人も重要です。


そしてなによりも、「(あなたの命)いただきます」ですよ!子供たちの好物にハンバーグがありますが、 挽肉にされた牛や豚の命をいただいてるんですね。
けっして、調理する人の力だけでは食事は食べられないし、 農家の人の力だけでも米はできないのです。ましてや同じ地球上に生きている、動物やお野菜の命をいただくんですから。



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人間の力ではどーしようもできない大自然の豊かな恵みに育まれ、 そして大変多くの人がいたから こそ、我々は毎日家で食事をいただけるんですね。

「食べる」の語源は、「賜る(タマワル)」→「タブ」→「タベル」 と変化したと言われています。
まさに、大自然の大いなる恵みを賜り、沢山の人のおかげを賜ることが、 「食べる」と言うことなんですね。

「いただきます」、「ごちそうさま」という言葉は、 これらの自然の恵みと沢山の人のおかげに感謝する言葉なのであります。 我々一人一人の人間が生活し、生きていくためには、目に見えない大きな力が働いています。

古来より日本人は、この働きを 総称して「神様のおかげ」と呼んでいたんですね。
神に祈ることは、「人は自分一人の力で生きているのではないこと」を再認識し、 自然の恵みに感謝して、支えてくれる多く人達に感謝することです。
商売をされている方が、神棚をおまつりされたり、毎月一日に神社にお詣りされるのは、 商売をしていると「商売は、沢山の人のおかげが有ってこそ。一人の力だけじゃダメなんだ。」 と言うことが分かり易いからかもしれませんね。


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